袁了凡の『陰騭録』は自己の宿命観を乗り越えて、自分から運命を創造してゆくことを悟った体験を書いた日本においても広く読まれた庶民の道徳を説く書物です。
袁了凡は、日本でいえば安土桃山時代の頃に生きた人で、後に高官となり、交易と漁民に被害をなす倭寇を平定したり、豊臣秀吉による朝鮮出兵の軍を退けたりしています。
袁了凡は若い時に占い師のお爺さんに人相を観てもらって、それが一つも狂わなかったので、それ以来「人には決まった定めがあり、それはどうすることもできない」という宿命観にいきつき、煩悩や欲望を捨てて生きていました。

そんなある日、雲谷禅師と出会います。
そんな袁了凡を見て雲谷禅師は
「あなたは若いのに似合わず、非常に達観されておるようだが、どういう修行をされたのか」
と問われます。
そこで袁了凡は「別に修行なんてしておりませんが、少年のときに、占い師のお爺さんに人相を観てもらって、いろいろと予言された。それが一つも狂わなかったので、それ以来余計な煩悩やあがきを一切止めました」と答えます。

それを聞いた雲谷禅師は「なんだ、そんなことか。それではまことに君はくだらぬ男だ」
と吐き捨てて言うのです。

袁了凡がその理由を尋ねると、
「人の運命が初めから決まっておるものなら、何故に釈迦や孔子が苦労したのか。偉大なる人が学問修養したのは、それによって人物を創ることができるからだ。
 運命というのは変えていくもの、創造していくものだ。

人間以外のほかの動物にはできないことを人はやることができる。

 「人とはどういうものであり、いかにすればどうなるかということを研究し、それに従って自らを創造することができるところに万物の霊長たる意味がある。」と説かれたのです。

袁了凡は愕然として悟り、発奮して学問に励み修身勤しんだところ、占い師のお爺さんの予言したことは外れて息子ができないと言われたのに息子に恵まれ74歳まで生きました。

袁了凡という名は、占い師のお爺さんに寿命が尽きると言われていた53才の時に改名した名前です。

人が浅はかで無力であると、宿命に引き摺られた生き方になります。人が本当に磨かれてくると自分で自分の”命”を創造することができます。

”自然の支配する法則を、人間の探究した法則に従って変化させてゆく”ことを志して自らの運命を切り開くこと”立命”こそが、何もより肝要だということなのです。

【運命を超えて行く為に雲谷禅師が袁了凡に説いたこと】

すべてのことを包み込めるような広い心になりなさい

優しい心をもって、笑顔でいなさい

自分の身体を大事にしなさい。

過去の自分は昨日で既に死んだと思い
今日から再生した新しい自分で徳を積みなさい

願力が業力より大きければ成功します