《ピンチをチャンスに変える》

子育てに悩んだ時期がありました。

息子がアスペルガーだとわかった時です。

小学校に入学してから担任の先生と

意思の疎通が上手く行かずに、

自分の気持ちを押し殺していく

息子を見ていて良い状況とは

思えませんでした。

息子の表情から

「この出来事は流してしまってはいけない」

これは担任の先生の問題ではなく

息子が人生で克服しなければならない

課題なのではないか…

それから、図書館に通い

アスペルガーについて知識がないので

本を探して読みました。

そして偶然にルドルフ・シュタイナーの

教育の本を見つけたのです。

「子供の個性を大切にする

テストや通知表がない学校」

私はシュタイナー教育に興味が湧き

「是非、その学校を見てみたい」と思いました。

そして私の
「子供に10歳までに海外体験をさせたい」と

いう夢を思い出して

少しずつ留学準備をはじめたのです。

日本のシュタイナー学校に連絡を取ったり、

シュタイナー学校の体験記の著者に

手紙を書いたりしました。

しかし、日本語しか話せない私たちが

ドイツ留学したいと言っても、

「無謀だ」の意見しか返ってきません。

留学の夢はなかなか前進ませんでした。

息子が小学校3年生になった時でした。

ある日、店に飲み物を買いに立ち寄った

お客様から以前ドイツに住んでいた事を

聞いたので、「私たちがドイツの

シュタイナー学校に留学を希望している」

ことをお話ししました。

数日後、そのお客様から

「日本人を受け入れてくれる

シュタイナー学校を見つけた」

と連絡が入りました。

一気にドイツ留学の話しが進み始めたのです。

その後、ドイツ人の先生を探して親子で

ドイツ語を習いました。

ドイツ人の先生は音楽家で

語学の先生ではなかったのですが

先生の奥様が日本のシュタイナー学校の教師

だったのでシュタイナー教育に

とても詳しかったのです。

そして、そのドイツ人の先生に事情を話すと

スイスのシュタイナー学校との

連絡のやり取りを全てしてくださったのです。

私たちが日本語しか話せない事を

スイスのシュタイナー学校の先生に伝えると

「確かに言葉は便利だか、

言葉以上に大切なものがある」

と背中を押していただきました。

それから1年後、息子は3ヵ月

スイスとドイツの国境近くの

シュタイナー学校に通いました。

シュタイナー学校は7歳から17歳までが

通う私立の学校です。

初めて見る日本人の珍しさに

上級生たちからの

ドイツの質問攻めに逃げながら‥

初日は物凄いプレッシャーを

抱えた息子でしたが

クラスメイトの温かなサポートで

笑顔を取り戻しました。

息子は帰国後は言葉が通じるありがたさを

実感して友達や先生と積極的に交流をしました。

新しい体験をした事で精神的に強くなりました。

何かを克服できたと思います。

そして自分の未来が想像できたようです。

悩んでる時こそ
次への躍進の準備期間です。
未来は、まだ決まっていません。
行動を起こす事で
新しい未来が作られていきます。